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大阪と東京を往復するビジネスマンは多いが、社長として、しかも彼ほど長期にわたって続けている人間は、そうざらにはいない。なにせ10年以上である。当初の数年は、月曜の夕方に大阪を出発し、金曜まで東京で仕事をするサイクルだった。現在でも、週に3日は東京だ。
「平成元(1989)年から通信関連事業として電話加入権のリースをしていたのですが、携帯電話の登場によって、仕事の中心をそちらへシフトしたんです。二次代理店として携帯電話の加入・機器販売業をスタートしました。平成4(1992)年のことです。そして平成6
(1994)年には通信自由化の開始。その時点では一次代理店となっており、東京市場の大きさを考えて拠点を設けました。それからです、単身赴任のような生活が始まったのは」
彼は「テレック株式会社」の社長であるとともに、「株式会社ベルパーク」の会長でもある。ともに携帯電話販売を中心とする企業だが、東京での事業の成功はベルパークというジャスダックスの上場企業として形づけられた。ちなみにベルパークは、東京をベースにしていた企業と平成12(2000)年に合併してボーダフォンにおける関東圏筆頭代理店のポジションを得た。
「携帯電話事業は、ご存じのように成熟期に入っています。業務は新規加入が3分の1、機種変更が3分の1、アフター・メンテナンスが3分の1。90年代後半からの成長期は街にショップが溢れていましたが、今は淘汰の時代に入りました。一次代理店として、キャリアショップを中心に展開したことが、生き残れた理由の一つでしょうね」
現在はショップ展開のほか、ゲームや着メロといったコンテンツづくりをはじめとするソフト技術開発、そしてテレマーケティングの新分野にも挑戦している。また、ショップの現場では、知識を豊富に持ったユーザーに対して、プロのスタッフが必要となっているが、独自の研修を実施して専門知識をもったプロを養成。別会社として同業他社に対し人材派遣もビジネスとして取り組んでいる。
「通信事業をおこなう前は、まったく業界の異なるファンシー雑貨のメーカーをしていたんですよ。それが時流に乗ったというか急成長し、一時期は若くして自社ビルまで新築しました。けれど急成長したのはいいが、失速するのもアッという間でした」
通信事業は、当時は在庫が要らない、現金取引による商売など、ファンシー雑貨のメーカー時代の反省から、選んだ業種だ。
それにしてもすごいのは、「最終的には失敗だった」という雑貨もある程度頂点を極め、通信も上場を果たすなど、一旦始めたビジネスは、トップランクまで成長させる彼の力である。そして今、新しく取り組んでいるビジネスが、リラクゼーションのデイスパだ。ニューヨークでヒントを得たという。今年11月、心斎橋に次いで梅田のハービスENTに2店舗目をオープンさせる。
「自分のビジネスの流れを大きく分けると、30代は雑貨、40代は通信、50代はデイスパといったところでしょうか」
少しはゆっくりとしたほうがいいのでは、と周りからは映るが、本人はいたって平気そのもの。「新しいものには魅力を感じる」とか。そんなタフな精神と肉体を支えているのは、どうもONとOFFの切り替えのうまさにあるようだ。「家族との時間は大切にしていますよ。年に2、3回は旅行もします」。そして平日になれば、JALに乗り東京へ向かう彼がいる。 |
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